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2009年7月19日日曜日

最近感動したもの

先日、村上春樹氏のお父様のエピソードを書きました。

村上千秋先生の穏やかでお優しいお人柄に触れました。

今日は、そのお父様について春樹氏自身が語っておられる

素晴らしいスピーチがあったので、ご紹介したいとおもいます。

といっても原文は英語。読もうとするとだんだん涙目になります。

ですが、ありがたいことに、これを、中・高・大の後輩でもある

中野拓さんが日本語訳しておられたので、こちらをご紹介します。

エルサレム賞を受賞したときのスピーチです。

私は、今日、小説家としてエルサレムに来ました。いわば、職業的な、嘘の紡ぎ手として来たわけです。

もちろん、嘘をつくのは小説家に限りません。ご存知のように、政治家も嘘をつきます。外交官も、軍人も、中古車のセールスマンも、肉屋も、建築屋も、折に触れて、彼らなりの嘘をつきます。しかし、小説家のつく嘘は、ある意味異なっています。小説家が嘘をついたからといって、誰も、その小説家を、不道徳だと非難することはないのですから。実のところ、嘘が大きく巧みであればあるほど、そして、独創的に嘘をつけばつくほど、人々や批評家に讃えられることでしょう。どうしてそんなことが可能になるのでしょうか。

私の答えは、このようなものです。すなわち、巧妙な嘘をつくことによって、つまり本当のように思われるフィクションを作り上げることによって、小説家は、真実を新しい場所に運び出して、それを新しい光で輝かせるのです。ほとんどの場合、真実をそのままの形で掴み取って、それを精確に記述することは、実質的に不可能です。ですから、私たちは、真実が隠れているところから真実をおびきよせたり、真実を、フィクションの場所に移したり、真実をフィクションの形と置き換えることによって、真実のしっぽを捕まえようとします。しかし、これを成し遂げるためには、そもそも私たちは、私たちの内部のどこに真実が存在するのかを明確にしておく必要があります。これは、良い嘘をつくための、重要な条件です。

しかしながら今日は、私は嘘をつく気はありません。できるだけ正直であろうと思っています。私が嘘をつかない日は、年に何日かしかありません。今日は、偶然、その日なのです。

ですから、本当のことをお話させてください。少なからぬ人が、ここに来てエルサレム賞を受けるべきではないと、私に忠告してきました。中には、もしそうしたら、私の本をボイコットすると警告した人さえいました。

言うまでもなく、その理由は、ガザ地区での激しい戦闘です。国連の報告によると、1,000人を超す人が、封鎖されたガザ市で命を落としたということです。その多くは、非武装市民、子どもたちやお年寄りでした。

賞の報せを受けてから、私は幾度となく、このような折にイスラエルに赴き文学賞を受けることが適切な行為なのかどうか、そして、そのことが、私が戦闘の一方の側に味方していて、圧倒的な軍事力を行使することを選択した国家の政策を支持しているとの印象を生み出してしまうかどうかについて、自問しました。私は、もちろん、そうした印象を与えるつもりはありませんでした。私は、いかなる戦争にも賛成しません。もちろん、私の本がボイコットの憂き目にあうのも見たくはありません。

しかしながら、熟慮の末、最終的に私はここに来ることに決めました。その理由のひとつは、あまりに多くの人が、私にそうしないように忠告してきたからです。ことによると、私は、他の多くの小説家と同様に、天邪鬼な傾向があるのかもしれません。もし人々が、私に何かするように言っていると―いや、特に、私に、「そこに行くな」「それをするな」と警告していると、私は、そこに行って、それをしたくなる傾向があります。それは、小説家としての私の資質だとおっしゃるかもしれませんね。小説家というのは、特別な人種です。自分の目で見たり、自分の手で触れたりしないことには、何も心からは信じることができないのです。

そういう訳で、私はここに来ました。私は、ここに来ないことよりも、来ることを選びました。目をそらすことよりは、自分の目で見ることを選びました。何も言わないことよりは、皆様に語りかけることを選びました。

私は、政治的なメッセージを伝えるためにここに来たわけではありません。もちろん、善悪の判断を下すことは、小説家の最も重要な義務の1つですが。

しかし、どのような形態でそうした判断を他者に伝えるかは、各々の小説家に任されています。私自身は、そうした判断を、物語の形に―超現実的な物語の形に―変えることを好みます。ですから、私は今日皆さんの前に立って、直接的な政治的メッセージをお伝えするつもりはありません。

ですが、1つの、とても個人的なメッセージをお伝えすることをお許しください。それは、私がフィクションを書いているときに、常に心に留めていることなのです。さすがに、紙に書いて壁に貼り付けるようなことまではしたことがありませんが。むしろ、それは、私の精神の壁に刻印されているのです。よろしいですか。

「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」

しかも、たとえ壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つのです。他の人は、何が正しくて何が間違っているか決めなければいけないでしょう。ひょっとすれば、時間や歴史が、決めることもあるでしょう。理由が何であれ、仮に、壁の側に立って作品を書く小説家がいるとすれば、そのような作品に如何なる価値があるでしょうか。

このメタファーの意味することは何でしょうか。ある場合においては、それはあまりに単純で明白です。爆撃機、戦車、ロケット砲、白リン弾が、その高く堅い壁です。卵は、それによって、蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装市民です。これは、メタファーの意味の1つです。

でも、これで全てというわけではありません。より深い意味もあるのです。こんなふうに考えてみてください。私たちのそれぞれが、多かれ少なかれ、1個の卵なのだと。私たちのそれぞれは、脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂です。これは、私にとっても当てはまりますし、皆様方のそれぞれにとっても当てはまります。そして、私たちそれぞれは、程度の差こそあれ、高く堅い壁に直面しているのです。壁には名前があります。「システム」です。システムは、私たちを守るはずのものです。しかし、時には、それ自身が生命を帯び、私たちを殺し、私たちに他者を殺させることがあります。冷たく、効率的に、システマティックに。

私が小説を書く理由は1つだけです。それは、個人の魂の尊厳を外側に持ってきて、光を当てることです。物語の目的は、警鐘を鳴らし、システムがその網の中に私たちの魂を絡めとり、損なうことがないように、システムに光を照射し続けることです。私は、小説家の仕事とは、物語―生と死の物語、愛の物語、人をして涙させ、恐怖で震わせ、可笑しみでクツクツと笑わせるような物語―を書くことによって、それぞれの魂の唯一性を明確なものにしようと挑戦し続けることであると、心底信じています。これが、私が、毎日進み続け、来る日も来る日も真剣にフィクションを生み出している理由なのです。

私の父は、昨年90歳で亡くなりました。父は、引退した教師で、非正規の仏教の僧侶でした。父は大学院時代に徴兵され、中国での戦闘に送られました。戦後に生まれた子どもとして、私は父が毎朝朝食前に、家の仏壇に長時間、深く心のこもった祈りを捧げるのを目にしていました。ある時、私は父に、なぜそうするのかを尋ねたことがありました。父は私に、戦争で死んだ人のために祈っているのだと言いました。

敵も味方も両方同じように、戦争で死んだ、全ての人のために祈っているのだと父は言いました。私は、仏壇の前で正座する父の背中を見つめながら、父の周りに死の影が纏わっているのを感じているように思われました。

父は亡くなりました。父は自分の記憶―私の決して知ることのできない記憶を持って、逝ってしまいました。しかし、父の周りに潜んでいた死の霊気というものは今でも私の記憶に残っています。それは、私が父から受け継いでいる数少ないことの1つであり、最も重要なことの1つでもあります。

本日、私が皆様にお伝えしたいことが1つだけあります。私たちは皆人間であり、国籍や人種や宗教を超えた個人であり、システムと呼ばれる堅い壁に直面した脆い卵なのです。どう見ても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに強固で、あまりに冷たいからです。少しでも勝ち目があるとすればそれは、それは、私たちが、自分自身と他者の魂の完全な唯一性とかけがえのなさを信じることと、皆の魂を1つにすることによって得られる温もりから得られるに違いありません。

このことについて、少し考えてみてください。私たちのそれぞれが、触れられる、生きている魂をもっています。システムは、そういうものではありません。システムが、私たちを利用するのを許してはいけません。システムが、それ自体生命を帯びるのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではありません。私たちがシステムを作ったのです。

これでお話を終わります。

エルサレム賞を受賞したことに感謝いたします。私の本が世界中で読まれていることに感謝いたします。そして、本日ここで皆様にお話しする機会を持てたことを嬉しく思います。


5 件のコメント:

bukyo さんのコメント...

たかし先生ありがとうございました。
めんどくさがりの私は、こういうチャンスがないと、
このすてきなスピーチの中味を知ることはなかった。
恩師村上先生の笑顔が、しずかに、たかし先生のうえに今もふりそそがれていることですね。
すぎた日、すぎた人、みななつかし、ですね。

ちょこ さんのコメント...

たかし先生の恩師、村上千秋先生も、村上春樹さんも素晴らしい方ですね。

「敵も味方も両方同じように、戦争で死んだ、全ての人のために祈っているのだ」・・・深い感銘を受けました。

個人個人は誰だって、戦いで死にたくはないですよね。
戦いで亡くなった方のご家族も、愛する人を奪われて、その後の人生をメチャメチャにされるんですよね・・・。

敵も味方も、本当だったら等しく愛おしい生命であり、魂ですよね。
戦うことに正義も悪も、ないはず。
村上春樹さんの言葉「自分自身と他者の魂の完全な唯一性とかけがえのなさを信じることと、皆の魂を1つにすること」が、最後に人間に残された手段なのでしょう。

たかし先生、また新しく、宝物を授けてくださってありがとうございます。
たかし先生の中でも、千秋先生に教わったことはきっと、宝物なのでしょうね。

村上たかし さんのコメント...

bukyo様

でしょ?私も読んで大変感動しました。

難しいことはあほだからよくわかりませんが、

「卵」と、固くて分厚い「壁」とがあったら、

いつも「卵」側に立つっていうところが

一番好きです。

あと、千秋先生が、素敵です。

こんないい話を日本語に翻訳してくれた

拓さんに感謝してます。

村上たかし さんのコメント...

ちょこさん

>村上春樹さんの言葉「自分自身と他者の魂の>完全な唯一性とかけがえのなさを信じること>と、皆の魂を1つにすること」が、最後に人>間に残された手段なのでしょう。

全くそうですよね。

かしこい人はほんといいこと言わはります。

私も大変感銘を受けました。

>たかし先生、また新しく、宝物を授けて
>くださってありがとうございます。

ななな、とんでもない!

授けたのは春樹氏で、

訳したのは拓さんで、

私は、佳代ちゃんにコピーとペーストを

やってもらったにすぎません。

なんもしてません。

めっそうもございません。

匿名 さんのコメント...

訳者の中野拓です。こうやって見えないところで喜んでいただけていたなんて…。一所懸命心をこめて訳して、本当によかったです。

何となく自分の名前をググってたら(恥ずかしい…)見つけちゃいました。

ご紹介くださいまして、ほんとうにありがとうございます。

中野拓拝